亀井家は、戦国の激動期に、信長、秀吉、家康に仕え、因幡国(鳥取県)鹿野城主となった茲矩を始祖としています。
茲矩は、戦国大名尼子氏の旧臣であった山中鹿之助の義弟にあたり、尼子氏滅亡後、出雲佐々木本家の流れを汲む亀井家の名跡を継ぎました。俗名を新十郎といい、槍の名人として知られています。
秀吉の下で、開田・治水・殖産事業に尽力し、ルソン(フィリッピン)、シャム(タイ)と交易を行うなど、その才能は多方面に及びました。
続く2代目の政矩の時に、鹿野から津和野へと移封されます。それまで岩見国(島根県)津和野は、坂崎出羽守直盛の知行国でしたが、千姫事件による騒動でこの地を除封されてしまいました。替わって政矩が1617年津和野三本松城へと入城することになりました。
ここに津和野藩主としての亀井家が誕生し、明治の廃藩置県に至るまでの255年間にわたり領内の行政を担うことになったのです。
なお、第何代という表記ですが、亀井家の歴史から見た場合は初代茲矩を含めますが、津和野史として論じる場合は、移封時の政矩から数えることがあります(一つ数が少なくなる)。
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