1F展示室

旧津和野藩主亀井伯爵家に伝わる重宝、諸道具類



参勤交代の際に利用した御座船

「松」 酒井抱一筆

皇后宮御下賜品



 初代茲矩(これのり)の着用した甲冑に始まり、幕末最後の藩主であった茲監(これみ)の業績を集大成した「以曽志乃屋文庫(いそしのやぶんこ)」まで亀井家歴代にわたって大切に保存されてきた品々が年代順に展示されています。

 いずれも400年にわたる亀井家ゆかりの品々で、津和野の歴史を物的側面から系統立てて捉えた点に現代的意義を見いだすことができます。






恩賜 飾り馬

井家は、戦国の激動期に、信長、秀吉、家康に仕え、因幡国(鳥取県)鹿野(しかの)城主となった茲矩(これのり)を始祖としています。

 茲矩は、戦国大名尼子氏の旧臣であった山中鹿之助の義弟にあたり、尼子氏滅亡後、出雲佐々木本家の流れを汲む亀井家の名跡を継ぎました。俗名を新十郎といい、槍の名人として知られています。

 秀吉の下で、開田・治水・殖産事業に尽力し、ルソン(フィリッピン)、シャム(タイ)と交易を行うなど、その才能は多方面に及びました。


く2代目の政矩(まさのり)の時に、鹿野から津和野へと移封されます。それまで岩見国(島根県)津和野は、坂崎出羽守直盛(なおもり)の知行国でしたが、千姫事件による騒動でこの地を除封されてしまいました。替わって政矩が1617年津和野三本松城へと入城することになりました。

 ここに津和野藩主としての亀井家が誕生し、明治の廃藩置県に至るまでの255年間にわたり領内の行政を担うことになったのです。

 なお、第何代という表記ですが、亀井家の歴史から見た場合は初代茲矩を含めますが、津和野史として論じる場合は、移封時の政矩から数えることがあります(一つ数が少なくなる)。

初代茲矩の甲冑




万3千石という小藩であるにも拘わらず、津和野で多年永らえた理由として、財政的には製紙・製蝋・漆の振興の成功が挙げられます。さらに、9代矩賢(のりかた)の治世時に藩校である養老館が創立され、文武教育の充実が図られました。

 この養老館の存在は大きく、多くの碩学・偉才を輩出する基盤になりました。国学者大国隆正(おおくにたかまさ)福羽美静(ふくばよしず)、哲学者西周(にしあまね)、文豪森鴎外(もりおうがい)、地質学者小藤文次郎(ことうぶんじろう)といった日本を代表する功績者が津和野という地で育まれたことは、大いに注目されるべきでしょう。

秀吉と茲矩との書簡のやりとり


恩賜 御紋付き銀花瓶

袿袴 明治初期の女子正装

麟 大国隆正筆





12代茲監胸像

末から明治維新にかけての時代のうねりを眼下に見てきたのは、最後の藩主である12代茲監(これみ)でした。時勢を的確に分析し策を講じた手腕は、津和野を戦禍から遠ざけ、激動の波を乗り越えました。

 また、明治政府の樹立に宗教的側面から砕身し、津和野藩の本学(国学)の思想が新政府の祭祀行政に大きく寄与しました。

津和野全景図 以曽志乃屋文庫 栗本格斉筆





津和野乙雄山亀井家墓所之図 田中有美筆

藩置県とともに津和野藩主としての役割は終わります…。

 が、亀井家が遺した気風は、津和野を散策することで、今も感じ取ることができるはずです。

 のどかな風景の内にある、進取の気概の精神を…。






※会期によって展示構成が変わる場合があります。ご了承下さい。